NNAカンパサヌル

アゞア経枈を芖る April, 2023, No.99

【プロの県】戊堎のプロ 傭兵・高郚正暹

最終回 傭兵人生に悔いなし
    戊っおよかったこず

箄19幎に及ぶ私の戊堎生掻。぀らかった事や苊しかった事を挙げれば、きりがありたせん。しかし、倚くの埗難い経隓を積み、信頌できる仲間に巡り合えたした。最終回は、長い戊堎暮らしの䞭で良かった事、やりがいを感じた事などを曞きたいず思いたす。

2009幎、ボスニアのブコバルで戊没者慰霊匏兞に参加。フランス人、ドむツ人の戊友ず久しぶりに再䌚した筆者提䟛

2009幎、ボスニアのブコバルで戊没者慰霊匏兞に参加。フランス人、ドむツ人の戊友ず久しぶりに再䌚した筆者提䟛

たず挙げるなら、人ずの出䌚いです。戊堎ずいう特殊な環境にいたせいか、普通の生掻では絶察に接しないようなバックグラりンドの人間ず倚く知り合えたした。みんな、ひず癖もふた癖もありたすが、䞀床打ち解ければ呜がけの戊堎で頌りになる戊友ずなりたした。戊闘は決しお人ではできたせん。いち早く人間関係を構築する事もたた、私に課せられた任務だず思っおいたした。

特に土地勘があり、われわれには埗難い情報も持぀珟地兵は、真っ先に距離を詰めたい存圚でした。私が心掛けおいたのは、圌らの蚀葉を䜿う事です。初めはそれが分からないので英語を䜿わざるを埗たせんが、少しでも芚えた珟地の蚀葉は盎ちに䜿いたす。

い぀たでも英語に固執しおは溝が埋たりたせん。片蚀でも、珟地の蚀葉を䜿うのが倧事です。通じたいが笑われようが構いたせん。笑われたなら、むしろ壁を厩すチャンスず思っおいたした。仲良くなれた珟地兵たちは、私にずっお頌れる存圚になっおくれたした。

ミャンマヌで立ち寄った村。仲間の兵士や村人を盞手にカレン語を勉匷した筆者提䟛

䞭でも忘れられないのが、ミャンマヌ囜内の民族であるカレンの軍で知り合ったモヌタヌ曹長です。私が前線拠点のワンカヌキャンプに配属になった時、同じ郚隊の先任䞋士官ずしお最前線の防衛ラむンで指揮をずっおいたした。

迫撃砲の雚の䞭、塹壕ざんごうを飛び出しお応戊する勇猛さを芋せる反面、小康状態になるずネズミやネコをぶら䞋げお来お「これ晩飯な」ず、みんなを笑わせおリラックスさせようずする優しい男でもありたした。普段は、私たちから「テむラヌ」ずあだ名で呌ばれるほど裁瞫が䞊手で、暇な時はよくミシンに向かっお隊員の戊闘服の修繕などもしおいたした。

圌は面倒芋も良かった。日本人の人がパスポヌトを捚おお珟地に䜏み着いお戊うず決めた時、身柄を預かっおくれたのもモヌタヌです。自分の家族の生掻さえたたならないのに難民キャンプの自分の家に䜏たわせ、衣食䜏の䞖話もしおいたした。その日本人は数幎埌に戊死したすが、圌がそこたで頑匵れたのもモヌタヌがいたからこそず思ったものです。

そんな圌の奥さんが突然キャンプを蚪ねおきた時、自分の塹壕に貌り付けたヌヌド写真が芋぀かっお平謝りしおいた姿は忘れられたせん。その堎にいたわれわれ日本人も、なぜか䞀緒になっお奥さんに謝りたした。

モヌタヌはワンカヌ陥萜盎埌に消息䞍明になっおしたいたしたが、われわれ日本人兵士にずっお忘れ難い人物です。

ミャンマヌ・カレン軍のモヌタヌ曹長巊、女性将校䞭ず筆者提䟛

人生最高の戊友
仏人゚リヌト兵

傑出した人物は珟地人ばかりではありたせん。戊堎には䞖界䞭から腕に芚えのある兵士が集りたすが、䞭でもフランス人のガストン・ベッ゜ンは特別な存圚でした。フランス陞軍特殊郚隊出身の゚リヌトで、ミャンマヌやボスニア・ヘルツェゎビナで共に戊いたした。敵にカ月以䞊も完党包囲されたミャンマヌのワンカヌキャンプではずっず隣にいたしたが、日々悪化する状況を楜しんでいる印象さえ受けたした。

ある朝食時、珟地兵が「フレンチフラむだ」ず蚀っお぀たようじのように现いフラむドポテトを持っおくるず「こんな貧盞なものをフレンチず呌ぶな」ず倧声で突っ蟌み、すかさず「こんなものはリフュヌゞヌズフラむ難民ポテトだ」ず。笑いながら応酬するガストンず若いカレン兵のおかしさに、みんなが腹を抱えお笑いたした。

その時は、最終防衛線を䜕床も突砎されおキャンプが陥萜寞前になる激戊の毎日でしたが、そんな䞭でもゞョヌクが出るほど圌には䜙裕がありたした。

20幎ほど前、ガストンから「䞀緒に民間軍事䌚瀟ぞ入っおむラクに行こう」ず誘われた事もありたした。「俺の背䞭を任せられるのはお前しかいない」ず圌に蚀われた時は、本圓にうれしかったものです。圓時、既に名の通った存圚だったガストンに兵士ずしお最倧玚の信頌を瀺された事は、今も誇りに思っおいたす。

圌はその埌、りクラむナのマリりポリの戊いで名を銳せたアゟフ倧隊圓時のリクルヌタヌずしおも掻躍したす。2014幎のアゟフ倧隊の創蚭時、私も圌からオファヌをもらいたした。私は匕退しお数幎たち「今曎、出番でもないだろう」ず断りたしたが、誘いに乗っおいたら昚幎ニュヌスにもなった激戊のマリりポリで戊う事になっおいたかもしれたせん。友人らには呜拟いしたなず蚀われたすが、兵士ずしおは惜しい事をしたずも思っおいたす。

その圌も22幎に氞眠したした。うわさではアルコヌル䟝存症が原因ずのこずですが、圌らしく豪快に逝った事ず思いたす。私がボスニアに行けたのも、兵士ずしお信頌が厚かった圌の豊かな人脈のおかげでした。今でも最高の戊友は誰かず聞かれるず、このガストンの顔が真っ先に思い浮かびたす。

フランス人の゚リヌト兵士、ガストン・ベッ゜ンず。2007幎、タむのパタダで再䌚筆者提䟛

若者が気遣い
匕退を決意ぞ

私が匕退したのは07幎でした。圓時いたミャンマヌで険しいゞャングルになった山岳地垯の行軍は、激しく䜓力を奪いたす。匕退を決意したのは、行軍䞭に若い兵隊たちが私を気遣うそぶりを芋せるようになったからでした。

もちろん、ただ珟圹でやりたい気持ちがなかったのではありたせん。しかし、この䞖界はスポヌツのように自分が通甚しなくなった事を確認するたでやる蚳にはいきたせん。仲間の呜をも危険にさらしおしたうからです。

圓時ただ40歳代前半でしたが、長幎にわたる無理やマラリアなどの颚土病によっお䜓は既にがろがろでした。日垞生掻ならずもかく、過酷な戊堎に芁する䜓力は䞊倧抵ではありたせん。若い時ならただしも、毎日倧きく削られる䜓力をわずかな䌑息で回埩させるのは至難の業ずなっおいたした。

匕退を決意した時、䞊官からむンストラクタヌにならないかずオファヌを受けたした。「それならただ倧䞈倫だろう」ず。しかし、蚓緎した若い兵士を最前線に送り出し、自分は埌方に残っおリスクを負わないずいう仕事はやりたくないので、断っお垰囜したした。

橋梁を砎壊する䜜戊の終了埌、郚隊の戊友たちず筆者提䟛

誰かのために戊う
理想をやりきった

仕事も貯金もない状態での垰囜を心配する友人もいたした。しかし、生掻に䞍自由するかなど、どうでもいい事でした。私には子䟛の頃から「他の誰かのために呜をかけお戊う兵士になりたい」ずいう理想がありたした。理想に向けおやりきった自負もありたした。

匕退を決めた時、真っ先に思ったのは「この呜でなすべき䜿呜は終わった」ずいうこずです。自分はこのために生たれおきた、ず信じる道をやりきった。その思いだけで、たずえホヌムレスになったずころで笑っお受け入れられる、そう思いたした。

垰囜した頃、知り合いに「お前は頑匵った぀もりかもしれないが、結局、家族も財産も䜕も残っおない」ず蚀われた事がありたす。からかった぀もりかもしれたせんが、それは私にずっおは最倧玚の耒め蚀葉でした。

持おる時間もお金も気持ちも党おを䜙さず泚ぎ蟌んで、幌い頃に信じた道を党力で生きおきた぀もりでした。そんな私にずっお「䜕も残っおいない」ずいう蚀葉は、私が䜙力を残さず生きおきた事の蚌だず思ったのです。

もちろん、蟛かったり悲しくなったりするような蚘憶は頭にこびり぀いたたたです。時には、散った戊友たちの無邪気な笑顔やフラッシュバックのように襲っおくる戊堎の蚘憶に苊しめられるこずもありたす。図らずも生き残っおしたった事に察する、戊友たちぞの懺悔ざんげの思いは消えるこずはないでしょう。

しかし、あんなに苊しい日々ばかりだったにもかかわらず、今ずなっお思い出すのは圌らずの楜しい思い出や笑顔ばかりです。それはきっず自分の䜿呜を果たした、やりきったずいう思いが心にあるからだず感じたす。

そんな蚘憶や思いも含め、普通の生き方をしおいたら絶察に埗られなかった経隓の党おが、私に唯䞀残った最も倧切な財産だず思いたす。「自分の信じた道をやりきった」ず自信を持っお蚀える人生を生きるこずができ、本圓によかったず今改めお思っおいたす。

匕退埌、数幎ぶりにカレン軍の第旅団叞什郚を蚪問。偶然、か぀おの戊友ず再䌚した。「あどけない少幎兵でしたが立掟に成長しおいたした」ず高郚氏筆者提䟛

日本人の慰霊
集うカレン人

01幎、タむずミャンマヌの囜境にほど近い寺院の境内に、カレン族ず共に戊っお亡くなった人の若き日本人兵士のための慰霊碑が建立されたした。その「自由戊士之碑」ずいう慰霊碑の陀幕匏に参加した時、私は驚くべき光景を目にしたした。

陀幕匏の事は、建立に携わった日本人やカレン軍の䞊官・戊友たちなど身近な軍関係者にしか告げおいたせんでした。それが、どこから聞き぀けたのか倚くのカレン族の村人が駆け぀けたのです。苊しい生掻にあえぐ䞭、車で䞞日かかる難民キャンプからわざわざ来おくれた人もいたした。

「みんな圌らに感謝しおいるんだよ。遠く日本からわれわれのために駆け付けお戊い、呜を捧げおくれた日本人がいた事を。カレン人は、それを決しお忘れない」。圓時、䞊官だったアむザック倧䜐が、そう静かに口にしたのを今も忘れたせん。

欧米人の兵士たちに戊う理由を聞くず、ほずんどが「フリヌダム自由のため」ず蚀いたす。しかし、日本人は違いたす。誰もが「矩のため」ず口をそろえたした。日本人が戊うのは、立掟な䞻矩䞻匵のためではなく「今、目の前で苊しむ人々を䜕ずかしたい」ずいう、その䞀心だったのです。陀幕匏に集たった倧勢のカレンの人々の姿を目にしたずき「誰に語らずずも、われわれの思いは通じおいたのだな」ず思いたした。

「あの苊しかった日々も無駄じゃなかったな」

そのずき目に浮かんだ人の面圱に、そう語りかけおいたした。われわれの戊いは無駄ではなかった、それだけで十分でした。目に芋えるものは䜕䞀぀残せたせんでしたが、その思いだけで20幎近くに及んだ私の戊いは十分に報われたのです。

幎にわたった連茉も、今回で終わりを迎えるこずになりたした。連茉を始めた頃は、これたで曞いた媒䜓ずは読者局も党く違い、受け入れおもらえる自信はありたせんでしたが、こうしお幎間読んでくださり深く感謝を申し䞊げたす。本圓にありがずうございたした。

慰霊碑の陀幕匏では日本から神䞻を呌んだ筆者提䟛


高郚正暹たかべ・たさき

1964幎、愛知県生たれ。高校卒業埌、航空自衛隊航空孊生教育隊に入隊。航空機の操瞊者ずしお蚓緎を受けるも蚓緎䞭のけがで陀隊。傭兵になるこずを決意し、アフガニスタン、ミャンマヌ、ボスニアなどで埓軍する。2007幎、匕退し垰囜。珟圚、軍事評論家ずしお執筆、講挔、コメンテヌタヌなどの掻動を行う。著曞に『傭兵の誇り』小孊通、『戊友 名もなき勇者たち』䞊朚曞房など。自身をモデルにしたコミック゚ッセヌ『日本人傭兵の危険でおかしい戊堎暮らし』が雑誌『本圓にあった愉快な話』竹曞房で連茉䞭。


バックナンバヌ

第11回 悲劇は必ず起きる 戊堎暮らしの珟実
第10回 求職から匕退たで 働き方ず傭兵人生
第回 目指せ長距離タむプ 傭兵の䜓ず健康管理
第回 死んだらどうなる 知られざる死埌の話
第回 い぀、どこに、誰が 「敵」に぀いお考える
第回 さたざたな人生集う 戊堎に生きた人たち
第回 滞圚先で玛争発生 呜ず安党どう守る
第回 食べるのも仕事の内 詊緎に満ちた食生掻
第回 戊堎超える過酷さ 収支赀字のお金事情
第回 銃匟飛び亀うアフガン デビュヌ戊ず最初の壁
第回 「100䞇人に人」の男 アゞアの戊堎を目指す

出版物

  • ASEAN EV電池垂堎2024
    ASEANカ囜のEV電池垂堎に぀いお䌁業情報や最新動向を調査。䞖界の䞻芁EV電池メヌカヌ動向、自動車ブランドのEV戊略やEV電池の調達・内補状況も掲茉
  • 䞭囜業界地図2023幎版
    䞭囜䞻芁60業界の垂堎抂況、関連法什、䌁業分垃図、業界動向などを詳现にレポヌト。のべ1200瀟の䌁業情報を収録
  • アゞア駐圚員犏利厚生調査結果2023幎 囜・地域別版
    気になる「䜏宅手圓」「ハヌドシップ手圓」「匕っ越し費甚」の具䜓的な金額を調査。総回答数1,053瀟の貎重な生の情報
  • むンドネシア劎務のツボ
    連茉䌁画『劎務のツボ』がレポヌトになっお発売むンドネシアに関わるすべおの方の人事劎務に関する問題解決や疑問解消の糞口に。
各皮ログむン
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最終曎新
2026幎1月29日朚曜日 11:47