NNAカンパサヌル

アゞア経枈を芖る March, 2023, No.98

【プロの県】戊堎のプロ 傭兵・高郚正暹

第11回 悲劇は必ず起きる
     戊堎暮らしの珟実

圓然のこずではありたすが、戊地に䜕幎もいれば目を芆いたくなるような悲劇的な堎面に遭遇したす。非戊闘員である垂民が敵からの攻撃ぞの盟にされたり、悪意ある味方に撃たれたり、幌い少幎兵が亡くなったり、トラりマ心的倖傷になるような堎面をいく぀も経隓したした。こうしたこずにも日垞的に向き合うのが、戊堎の珟実なのです。

アフガニスタンで出䌚った1014歳の少幎兵たち。「本文で玹介する郚隊ではありたせんが、同じ幎頃の少幎たちが亡くなりたした」ず高郚氏筆者提䟛

アフガニスタンで出䌚った1014歳の少幎兵たち。「本文で玹介する郚隊ではありたせんが、同じ幎頃の少幎たちが亡くなりたした」ず高郚氏筆者提䟛

今も私の心に最も匷く残るのは、アフガニスタンで出䌚った少幎兵たちです。

私がいた圓時の1980幎代埌半、珟地の歊装勢力であるムゞャヒディンむスラム戊士の䞭に少幎たちが混ざっおいたした。ほんの小孊生か䞭孊生くらいのただ子䟛で、そんな少幎が銃を持っお闊歩かっぜするのです。しかし、芋た目は䞀人前でも顔にただただ幌さも残る幎頃。圌らにずっおは倖囜人が珍しいようで、私の呚りによく集たっおきたした。い぀の間にかそれがグルヌプ化し、私のチヌムみたいなものができたした。

ある日、少幎らが実戊に出られるように蚓緎をしおほしいず䞊官に頌たれたした。ただただ難しいずころですが、思案の末に「カ月は欲しい」ず告げるず、いったんは了承しおもらえたした。ずころが、それからひず月もたたないうちに「お前たちも前線に出お欲しい」ず呜じられたのです。近く倧きな䜜戊を蚈画しおおり、その人手が足りないからだず。

もちろん、最初は断りたす。蚓緎さえも䞭途半端にしかできおいない少幎たちを最前線に出すわけにはいきたせん。しかし、芁請を䜕床も䜕床も繰り返されるうちに呚囲の空気がだんだん倉わっおいきたす。私が前線行きをかたくなに拒む姿に察し、䞍信や反感の目が向けられおいるこずをはっきり感じたした。

それに加え、自分が倖囜人ずいう匕け目も私にはありたす。「臆病者に芋られたくない」「日本人が腰抜けずは思われたくない」ずいった、個人的な気持ちが埐々に頭をもたげおきたこずは吊定できたせん。そしお䜕より、圓の少幎たちが最前線行きを匷く垌望したのです。

私はその少幎たちの気持ちを、自分の肩にのしかかる掟遣芁請ぞのプレッシャヌから逃れる蚀い蚳にしおしたったのかもしれたせん。「本人たちが行くずいうのなら」ず。そしお぀いに、圌らの最前線行きを了承しおしたったのです。この決断は、私にずっお人生最倧の痛恚の出来事ずしお蚘憶されるこずになりたす。

歳から15æ­³
前線に送り出す

「無理をする必芁はない」
 「絶察に指揮官を芋倱うな」
 「人で行動するな」

䞋は歳から䞊は15歳の総勢13人。最前線に赎く圌らに、いろいろな泚意を䞎えたす。しかし、みんな幎端もいかない子䟛たちです。最前線に着くず案の定、人が前に、ある者は右ぞ、そしお別の者が巊にず、少幎兵はすぐに散り散りになりたす。倧人の兵士でも極限の粟神状態に陥っおしたうのが最前線だずいうのに、初めお実戊に出る少幎たちに萜ち着いおいけずいうのが、どだい無理な話なのです。そのうち、みんな私の芖界からいなくなっおしたいたした。

空爆を受けた盎埌、もうもうず土煙が䞊がる。アフガンでは、このような前線に少幎兵たちが投入された筆者提䟛

その日の倕方近くに戊闘が終わり、私は人で最前線のやや埌方にある拠点に戻りたした。少幎たちは誰も垰っおいたせんでした。そのたた拠点の前で埅っおいるず、人、人ずぜ぀ぜ぀ず垰っおきたす。食事もずらず深倜たで埅ちたしたが、肩を萜ずしお打ちひしがれたような姿で垰っおきたのが党郚で人。人は぀いに垰っおきたせんでした。

前線の拠点は近蟺の山䞭にいく぀もあるので、どこか他の堎所にたどり着いおいるんじゃないか。䞀筋の望みをかけお叞什官が無線で問い合わせおくれたしたが、圌らの姿はどこにもありたせんでした。

その倜、私は埌悔ず自責の念にさいなたれお䞀睡もできたせんでした。「なぜ、少幎たちの最前線行きを最埌たで反察できなかったのか」。そのこずばかりが頭の䞭で枊を巻きたす。仲のよいムゞャヒディンたちは「お前がどんなに反察したずころで結局、圌らは送られた。お前の責任ではない」ず慰めおくれたすが、埌悔ず自責の念は䞡肩に重くのしかかったたたです。

埌日、戊死した少幎たちの遺䜓は回収されお葬られたようです。しかし、別の拠点に収容されお、そのたた埌方に送られ埋葬されたので私は圌らの遺䜓ず面䌚すらできず、結局どこに葬られたのかさえ分かりたせんでした。

郚䞋もう持たない
最倧の痛恚ず埌悔

生き残った少幎たちは、人を陀いお粟神的ショックで萜ち蟌んでいたので翌日には埌方に戻されたした。唯䞀残った血気盛んな15歳の少幎だけは、われわれず共に最前線で戊闘を続けたした。聞くずころによるず、その少幎は敵の攻撃により家族を殺され、芪類ず難民キャンプで過ごしおいたそうです。埩讐ふくしゅうの念に燃えた圌は、ムゞャヒディンずしお戊うこずを志願したした。

私はずいうず、数日間にわたる戊闘が終了しお所属郚隊の拠点に垰りたした。しかし、生き残った少幎たちずは、たずもに顔を合わせるこずができたせんでした。申し蚳ない気持ちだけではありたせん。圌らに䌚うず、死んでいった少幎たちの顔がダブっお芋えおしたうのです。

お菓子の箱を持っおはにかむアフガンの少幎兵筆者提䟛

このこずがあっおから匕退たでの十数幎間、私は郚䞋を持぀こずを拒吊し続け、あくたで䞀兵卒ずしお戊堎に立ち続ける道を遞びたす。「あんな぀らい思いをするくらいなら郚䞋などもう持ちたくない。俺に任せないでくれ」。そんな思いでした。

䞀方で、最前線に立぀将校ずいうのは倧したものだずも思いたした。倧勢の郚䞋を持ち、そしお垞にそのうちの䜕人かを倱うのです。私の戊友の人は「郚䞋を数字ずしお芋るこずができなければ、将校は務たらないよ」ず蚀っおいたした。「今日は誰が死んだ」ではなく「今日は䜕人死んだ」ず考えられる人間でなければ、戊堎での指揮官は務たらないず。正にその通りだず思いたした。

私のキャリアの䞭でも比范的早い段階で起きたこの事件は、最倧の痛恚ず埌悔、そしお教蚓をもたらし、私が戊堎生掻を匕退するたで圱響を及がしたす。匕退しようずした時、むンストラクタヌ教官の仕事をオファヌされたしたが、それも断りたした。

手塩にかけお蚓緎した若い兵隊を最前線に送り蟌み、そしお䜕人かは確実に死ぬでしょう。その間、自分は圌らず同じリスクを背負うこずもなく安党な埌方で過ごす。そんな仕事はしたくないず思いたした。そうした決断にも、少幎兵の件が圱響したのは吊めたせん。今でも、埌悔しおもしきれないほどの出来事でした。

「故意に違いない」
味方の射撃で死亡

戊堎で脅嚁ずなるのは敵兵だけではありたせん。こんな出来事もありたした。

ボスニア・ヘルツェゎビナの南郚の町で戊闘䞭、われわれは建物や家屋に分散しお朜んで戊いたした。その時、味方のカナダ人が朜む建物の階の郚屋で爆発が起こりたす。そのカナダ人は死亡。敵の砲匟を受けたのだろうず初めは思いたした。

しかし、爆発の近くにいた郚隊の兵士の䜕人かが疑問を口にしたす。カナダ人を殺した砲匟は、明らかに味方がいるはずの埌方から飛んできたず蚀うのです。疑問ずいうよりも確信がある口調でした。着匟点やその先にも味方しかいたせんでした。そこで、その時の味方の配眮を確認し盎しおみるず、ある疑惑が浮䞊しおきたのです。

ボスニア・ヘルツェゎビナの垂街戊で、カナダ人の副隊長を殺害した物ず同型の携行匏ロケット匟「」筆者提䟛

亡くなったカナダ人は、われわれの郚隊の副隊長です。われわれの郚隊はあたり優遇されず、意芋や芁望は盞圓匷硬に䞻匵しないず通りたせん。そのため、亀枉や折衝では時に倖郚ずの衝突を匕き起こしおいたした。そういった亀枉を䞀手に匕き受けおいたのが、この副隊長です。そしお、むギリス人を䞻䜓ずする教官チヌムに所属するずいう隊員ず険悪な関係になっおいたのです。それは誰もが知るずころでした。

副隊長を殺傷した砲匟が飛来しおきた方向には、その教官チヌムがいたのです。通垞、教官チヌムは前線に出ないのに、その時はなぜか隊員を含めお最前線に来おいたのです。

われわれは戊闘が萜ち着いお埌方に戻るず、䞀足先に埌方の基地に垰っおいた教官チヌムに怒鳎り蟌みたした。「が殺したに違いない」ず。しかし、教官チヌムの隊長は「は副隊長を敵ず誀認しお射撃しおしたったず蚀い、䞊玚郚隊の事情聎取にもそう応じおいる」ず、かばいたす。しかも、あろうこずかは垰っお来るずすぐに䌑暇を取っおボスニアを離れた䞊、そのたた遠くの他郚隊ぞず転出したずいうのです。

戊闘があっお荒れ果おたボスニアの集萜。垂街戊は垂民生掻にも圱響を及がす筆者提䟛

誀射は珍しくない
䞍問にされる事件

「はどこに行った」ず食い䞋がるも、その隊長は「敵だず思っお誀射しおしたうのは、珍しい事でもないのは分かるだろう。君たちが隒いだずころで、どうなるものでもない」ず涌しい顔で蚀い攟ったのです。

確かに、最前線での誀射は床々ありたす。間違っお味方を撃っおしたったず蚀い匵られたら、故意を蚌明するのは至難の業です。しかも正芏兵ならずもかく、われわれのような倖囜人の兵士同士のトラブルを真剣に裁こうずいう意志は、䞊官たちにはありたせんでした。

こうしおの行方は分からず、われわれは怒りの気持ちをぶ぀ける堎所もなく、うやむやのうちに事件は葬り去られたのです。実に埌味の悪い事件でした。䞊官が蚀うように、誀射は珍しい事ではありたせんが、決しお䞍問でいい蚳でもありたせん。ただ、この時の敵ず味方が耇雑に亀錯する垂街地の戊堎では、残念ながら䞀介の倖囜人兵士に過ぎないわれわれが故意を蚌明するこずも困難でした。

その埌、われわれず教官チヌムの仲はさらに険悪になりたした。さすがに、䞀觊即発のような状況になっおくるず䞊玚郚隊も察応に乗り出したす。結局は教官チヌムが違う基地に移動ずなり、われわれの気持ちは䞍完党燃焌のたた決着せざるを埗たせんでした。

 

この事件を通しお分かるのは、アりトロヌの集たりだず思われおいる傭兵郚隊でも倧切なのは「人の和」なのです。いえ、傭兵郚隊だからこそ、それが倧切ず蚀えるでしょう。

われわれは互いに歊噚を手にしおいるだけでなく、最前線で戊った経隓も持ち合わせおいたす。぀たり、人に向けおトリガヌを匕く心のハヌドルは、䞀般の人が思う以䞊にかなり䜎いずいうこずです。

「あい぀が気に入らない」などず䞍満がくすぶり続けるず、ある日埌ろからズドン、ずいうこずが起こり埗る。泚意しなければならないのは敵だけではない。それも぀の戊堎での真実なのです。

ボスニアで高郚氏が所属したチヌム。右から人目が、味方の射撃で死亡したカナダ人の副隊長筆者提䟛


高郚正暹たかべ・たさき

1964幎、愛知県生たれ。高校卒業埌、航空自衛隊航空孊生教育隊に入隊。航空機の操瞊者ずしお蚓緎を受けるも蚓緎䞭のけがで陀隊。傭兵になるこずを決意し、アフガニスタン、ミャンマヌ、ボスニアなどで埓軍する。2007幎、匕退し垰囜。珟圚、軍事評論家ずしお執筆、講挔、コメンテヌタヌなどの掻動を行う。著曞に『傭兵の誇り』小孊通、『戊友 名もなき勇者たち』䞊朚曞房など。自身をモデルにしたコミック゚ッセヌ『日本人傭兵の危険でおかしい戊堎暮らし』が雑誌『本圓にあった愉快な話』竹曞房で連茉䞭。


バックナンバヌ

第10回 求職から匕退たで 働き方ず傭兵人生
第回 目指せ長距離タむプ 傭兵の䜓ず健康管理
第回 死んだらどうなる 知られざる死埌の話
第回 い぀、どこに、誰が 「敵」に぀いお考える
第回 さたざたな人生集う 戊堎に生きた人たち
第回 滞圚先で玛争発生 呜ず安党どう守る
第回 食べるのも仕事の内 詊緎に満ちた食生掻
第回 戊堎超える過酷さ 収支赀字のお金事情
第回 銃匟飛び亀うアフガン デビュヌ戊ず最初の壁
第回 「100䞇人に人」の男 アゞアの戊堎を目指す

出版物

  • ASEAN EV電池垂堎2024
    ASEANカ囜のEV電池垂堎に぀いお䌁業情報や最新動向を調査。䞖界の䞻芁EV電池メヌカヌ動向、自動車ブランドのEV戊略やEV電池の調達・内補状況も掲茉
  • 䞭囜業界地図2023幎版
    䞭囜䞻芁60業界の垂堎抂況、関連法什、䌁業分垃図、業界動向などを詳现にレポヌト。のべ1200瀟の䌁業情報を収録
  • アゞア駐圚員犏利厚生調査結果2023幎 囜・地域別版
    気になる「䜏宅手圓」「ハヌドシップ手圓」「匕っ越し費甚」の具䜓的な金額を調査。総回答数1,053瀟の貎重な生の情報
  • むンドネシア劎務のツボ
    連茉䌁画『劎務のツボ』がレポヌトになっお発売むンドネシアに関わるすべおの方の人事劎務に関する問題解決や疑問解消の糞口に。
各皮ログむン
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最終曎新
2026幎1月29日朚曜日 15:43