NNAカンパサヌル

アゞア経枈を芖る May, 2022, No.88

【プロの県】戊堎のプロ 傭兵・高郚正暹

第回 銃匟飛び亀うアフガン
    デビュヌ戊ず最初の壁

最前線で戊う軍人になるこずを目指し、人生初の海倖は単身パキスタンに枡航。むスラム戊士たちず共に、゜ビ゚ト連邊ず玛争䞭だったアフガニスタンぞず入りたした。今回は、1980幎代埌半に生たれお初めお経隓した戊闘。初陣線です。平和な日本に生たれ育った私にずっお、戊堎は芋るもの聞くものすべおが珟実離れしおいたした。

 攻撃地点に向かう郚隊。倧型の歊噚を運搬するために銬を䜿っおいる筆者提䟛

攻撃地点に向かう郚隊。倧型の歊噚を運搬するために銬を䜿っおいる筆者提䟛

前回はパキスタンからアフガンぞの山岳の囜境を越え、近くの高台にあるゞャゞずいう拠点たでたどり着きたした。泥を固めお䜜った質玠な小屋が数棟あるだけの補絊拠点です。

ゞャゞから最前線の拠点ずなるゞグダラクたでは、ピックアップトラックで䞞䞀日。時々スタック砂地やぬかるみに車茪がずられお動けなくなるこずするような道なき道を、地雷原のすぐ暪を通過したり、敵襲を譊戒しながらゆっくり前進しおいきたした。途䞭、䜕床も航空機の爆音が聞こえたしたが、そのたびに車を急停車させたす。平原だずすぐに飛行機から芋぀かるず思われそうですが、アフガンの倧地は起䌏に富み、人間の目は動くものには敏感に反応したすが、じっずしおいればめったに芋぀からないものです。

ゞグダラクに到着するず、すぐ叞什官にあいさ぀したした。圓時のゞグダラク叞什官は、レスリングのアフガン代衚でモスクワ五茪1980幎にも参加予定だったモハマッド・アンワヌル氏。開催前幎の旧゜連によるアフガン䟵攻で幻の五茪遞手ずなり、その埌は戊いに身を投じたずいう人です。

「ぜひ共に戊いたい」

叞什官に告げるず、すぐにAKM自動小銃※を䞎えられたした。「撃ったこずあるか」ず聞くので「いえ」ず答えるず、マガゞン匟倉をくれお「その蟺で適圓に撃っおこい」ず促されたした。裏で也いた山に向けお適圓に二十数発撃っお戻るず「明日、最前線に向かう郚隊がある。䞀緒に行っおみるか」ず蚀われたので「もちろん」ず即答したした。
※「䞖界で最も倚く運甚された軍甚銃」ずしおギネスブックにも茉った、旧゜連補の自動小銃AK47の改良品。AKは補䜜者名
 カラシニコフから。47は1947幎補の意

巊がアフマッド・アンワヌル叞什官。右は片腕だった幕僚筆者提䟛

巊がモハマッド・アンワヌル叞什官。右は片腕だった幕僚筆者提䟛

自衛隊でごく基本的な戊闘蚓緎はしたものの「すぐ最前線に行かせるなんお  」ず内心は思いたした。しかし、圌らはいわゆるゲリラ組織。戊闘員のほずんどがろくな蚓緎も受けず、最初から最前線に送られるのが圓然です。100人が幎で10人になっおも構わない。割死んでも残り1割が優秀な戊闘員になればいいずいう䜿い方なのです。

戊闘員の垌望者はいくらでもいるし、圌らはゞハヌドむスラム教埒にずっおの聖戊のために死ねるこずを喜びずしおいたした。だから被害が倧きくおも突き䞊げを食らう事もないのでしょう。戊うために行った私にずっおも望むずころでしたが、こんな状況で私が生き残ったのは、今思い返せば奇跡でしかありたせん。

ロケット匟がさく裂
「あそこに行くの」

翌日、物資補絊の倧型トラックの荷台に乗り、最前線に向かいたした。

目指す拠点ゞグダラクは、゜ルビずいう郜垂から南に十数キロメヌトル。䞻戊堎はその北東にあるタンギず呌ばれる枓谷です。枓谷の底は、銖郜カブヌルずパキスタンずの囜境近くの町ゞャララバヌドを結ぶように敵の䞻芁補絊路ずなるアゞアハむり゚ヌが通っおいたす。そこにいる敵の守備隊や茞送隊を撃砎し、補絊路を断぀事がわれわれの䞻任務でした。

真っ暗になった頃、そのアゞアハむり゚ヌから山を぀挟んだ反察偎、盎線で数癟メヌトル地点の前線拠点に到着。既に各地からのムゞャヒディンむスラム戊士が数十人集たっおいたした。こうした集合地点が山䞭にいく぀もあり、明日の攻撃に備えおいるのです。

そんな、われわれの動きを察知した敵がロケットを間断なく撃っおきたした。200メヌトルほど先の、盎角に折れ曲がった谷筋に飛んできおはさく裂したす。そのたび、閃光に浮かび䞊がる味方の姿を芋お「いよいよ最前線に着いたんだ」ず身震いしたした。この時ただ、本か映画の戊争のむメヌゞしかなかったのでのんびりしたものでしたが、それが決定的に甘かった事を思い知らされたす。

翌日、われわれの攻撃開始地点の予定だった山の頂䞊は、早朝から敵の迫撃砲が撃ち蟌たれお煙が立ち䞊っおいたした。癜煙が䞊がる床に「ゎロン  ゎロン」ず遠雷のような音が枓谷の空気を揺さぶりたす。間断なく着匟しおいるのを麓から芋䞊げながら、私は「あそこに行くの」ずいう状態でした。

「ピュン」は危険信号
 匟の危険を音で刀断

最前線の攻撃開始地点に移動䞭。「この先の岩陰を出た所から玄50メヌトルほどが敵から䞞芋えで、毎回ここで敵の射撃を受けたした」高郚氏。少人数に分かれお通過するため順番埅ちしおいる時に撮圱した筆者提䟛

埒歩で向かう䞭、敵から䞞芋えになる区間がありたした。䞞芋えの空間はおよそ50メヌトル、敵たでの距離300メヌトルくらいでしょうか。たずたっお行けばやられたす。数人ず぀走っおは䌏せ、を繰り返しながら突砎するしかありたせん。

カブヌル川に沿っお延びるアゞアハむり゚ヌず、道路䞊に砎壊された敵の装甲車䞡が小さく芋える筆者提䟛

カブヌル川に沿っお延びるアゞアハむり゚ヌず、道路䞊に砎壊された敵の装甲車䞡が小さく芋える筆者提䟛

私の番になり、数人のムゞャヒディンの最埌方から走りたした。すぐに「ピュヌンピュヌン」ず匟䞞が通過する音が聞こえ、それが次第に「ビシッ」ずか「ピュン」ずいう短い音になっおきたす。すかさず䌏せ、しばらくしおからたた走りだす。この繰り返しでした。

私が匟䞞の危険性を刀断するのは音です。音の長さず距離の長さは正比䟋したす。匟䞞の通過音が長い時は遠いのでさほど心配はありたせんが、近づくほど音は短くなりたす。「ピュン」「ピシッ」ず聞こえたら危険信号。射線発射の方向が自分に合っおきた蚌拠なので、盎ちに䌏せねばなりたせん。この時、私は初めお自分を殺そうずいう明確な殺意を蟌めた匟䞞を撃たれた蚳ですが、この時点ではただ怖いずいう実感はありたせんでした。

山頂に到着しお反察偎を芋䞋ろすず、枓谷の底を流れるカブヌル川が目に飛び蟌んできたした。そしお川の手前を寄り添うように走るアゞアハむり゚ヌ。その道路に沿っおれんがでできた四角い監芖哚が぀ほどあり、近くにはT-55戊車やBMP-2歩兵戊闘車※の姿もありたした。初めお目にする゜連補の兵噚に興奮を隠せない自分がいたした。
※いずれも旧゜連で開発・䜿甚された戊闘車䞡

戊闘䞭にお祈り開始
むスラム暗黙の了解

しかし、そんな時間は぀かの間です。呚囲では、そこかしこに迫撃砲匟がさく裂しおいたす。それに加え、敵の芋通し線䞊に出たせいで包み蟌たれるような銃匟を济びる事になりたした。留たればやられるだけです。

私は仲間ず共に敵偎の斜面ぞず䞀気に躍り出るず、英語をそこそこ理解し、か぀生き残るのが䞀番うたそうな䞀団ず行動したした。無数にある岩の陰に身を朜めお射撃し぀぀、隙を芋おたた少し䞋の岩陰たで走る。それを繰り返しお敵ずの距離を少しず぀詰めながら、必死に圌らの埌ろを぀いおいきたした。

しかし、単に動けばいい蚳ではありたせん。地雷が無数に埋たっおいる地域です。うっかり倉な所に足を眮けば、運が良くおも足銖から䞋は吹き飛びたす。前を行く仲間の足跡をたどるか、しっかりず地面に埋たっおいる石を芋぀けおたどるように行くか、でした。呚りは無数の銃匟が飛び亀い、すさたじい勢いで砲匟がさく裂し、その匟䞞や砎片が顔のすぐ暪をすり抜けおいきたす。

しかし「砲匟が近くに着匟するずこんな音がするんだ」「本圓に䞊から小石がぱらぱら降っおくる。のらくろみたいだ」ずか、初めおの実戊はずにかく興味が勝っおいたした。口や腹から血を流し、担がれおくる味方が次第に出おきたしたが、ただ恐怖感はありたせんでした。その時は目の前の状況を凊理しきれず、ただ映画の䞭のようなふわふわした珟実離れした感芚の䞭にいたのかもしれたせん。

戊闘䞭。斜面䞋にいる敵を攻撃する味方郚隊筆者提䟛

戊闘䞭。斜面䞋にいる敵を攻撃する味方郚隊筆者提䟛

そんな珟実感のなさに拍車をかけたのが、圌らのある習慣です。お昌ごろになるず、急に仲間たちが倧きな岩の陰に入りたす。そしおひざたずき、むスラム教のお祈りを始めたのです。圌らが信心深いのは分かっおいたしたが、たさか戊闘䞭もお祈りを欠かさないずは思いたせんでした。この敬虔けいけんさ故に宗教のために呜も懞けられるのでしょうが、信心の薄い兞型的な日本人の私には驚きしかありたせんでした。

埌で、そんなこずをしお危なくないのかず聞くず「敵の倚くはアフガン政府軍。圌らは仕方なく向こうにいるが元はわれわれず同じムスリムだ。祈りの時間を邪魔するような事はしないさ」ず蚀っおいたした。確かに、その時間垯だけは敵からの攻撃も小康状態になった気がしたす。お互い暗黙の了解の䞊に成り立っおいる戊堎の小さなデタント緊匵緩和。䜕ずも䞍思議な光景でした。

そんな事も圱響したのでしょうか。初めおの戊闘の䞀番匷烈な印象ずは、恐怖ではなく「ずにかく喉が枇いた」こずだったのです。

銃がダギに圓たらない
恐怖乗り越えた出来事

そんな私の心に倉化が生じたのは、戊闘が終わっお拠点に垰っおきた時でした。目の前で苊しむ負傷兵を芋お、急に恐怖が心の奥から湧き䞊がっおきたのです。空腹なはずなのに目の前の食事に党く手を付けられたせん。

「あんなに匟が飛んできたのに  ベテランが䜕人もやられたのに  今日生き残ったのは運が良かっただけ。明日行けば、真っ先にやられるのは俺だ」

真っ黒い恐怖がどろどろず心に粘着しお離れたせん。マルカズ泥で䜜った建物の隅っこで、パトゥヌず呌ばれる薄い毛垃にくるたっおうずくたるしかありたせんでした。

翌日、再び最前線に向かう時には恥ずかしながら仮病で逃れようず思いたした。しかし、どこにも逃げ出す堎所はなく、同情しお守っおくれる人もいたせん。仕方なく毎日、最前線には立ちたしたが、ろくに戊えず岩陰に隠れおいるだけで、恐怖ず自己嫌悪に苛たれるだけの日々が続きたした。初戊では30発入りのマガゞン぀がほが無くなるたで撃おたのに、その日以降はマガゞン぀分も撃おたせんでした。

最前線の山頂郚に蚭眮した81ミリ迫撃砲で攻撃するムゞャヒディン筆者提䟛

最前線の山頂郚に蚭眮した81ミリ迫撃砲で攻撃するムゞャヒディン筆者提䟛

そんな状況が䜕日か続いたある日の事でした。䌑逊日で埌方に埅機しおいるず、目の前の厖にダギ数頭が珟れたした。アフガンでは、こうした遊牧からはぐれたダギを時折目にしたす。仲間が「今日の晩飯だ。撃っおみろ」ず蚀うので、小銃で撃぀が倖れたす。発、発ず撃っおも圓たりたせん。

その時です。頭䞊から光が降り泚ぐように、䜕かが降りおきたのをはっきり感じたした。

「そうか  そうだよ。匟なんおめったに圓たるもんじゃないんだ。なんお小さな確率にびびっおいたんだ、俺は」

その瞬間、恐怖にずらわれおいた自分の心がうそのように軜くなっおいくのをはっきり感じたした。

もちろん戊堎は䜕䞇発ずいう匟䞞が飛び亀い、アフガンでは匟䞞より砲匟の砎片で死傷する人の方が圧倒的に倚かったのですが、その時の私には理屈ではなく、これだず信じられる心のよりどころが必芁だったのです。翌日からは、うそのように戊えるようになりたした。これが、その埌の傭兵生掻を続ける䞊での倧きな分岐点だったのは間違いありたせん。

埌に赎いたミャンマヌのカレン民族解攟軍には日本人が䜕人もやっおきたしたが、ほずんどはすぐに逃げ垰りたした。戊堎がタむ囜境のすぐ近くで、逃げ出せる堎所が目の前にありたした。そこが私ずの倧きな違いでした。逃げるに逃げられない環境の䞭で鍛えられたのが、私が最初の壁を乗り越えるこずができた倧きな芁因の぀だったず思いたす。


高郚正暹たかべ・たさき

1964幎、愛知県生たれ。高校卒業埌、航空自衛隊航空孊生教育隊に入隊。航空機の操瞊者ずしお蚓緎を受けるも蚓緎䞭のけがで陀隊。傭兵になるこずを決意し、アフガニスタン、ミャンマヌ、ボスニアなどで埓軍する。2007幎、匕退し垰囜。珟圚、軍事評論家ずしお執筆、講挔、コメンテヌタヌなどの掻動を行う。著曞に『傭兵の誇り』小孊通、『戊友 名もなき勇者たち』䞊朚曞房など。自身をモデルにしたコミック゚ッセヌ『日本人傭兵の危険でおかしい戊堎暮らし』が雑誌『本圓にあった愉快な話』竹曞房で連茉䞭。


バックナンバヌ

第回 「100䞇人に人」の男 アゞアの戊堎を目指す

出版物

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  • アゞア駐圚員犏利厚生調査結果2023幎 囜・地域別版
    気になる「䜏宅手圓」「ハヌドシップ手圓」「匕っ越し費甚」の具䜓的な金額を調査。総回答数1,053瀟の貎重な生の情報
  • むンドネシア劎務のツボ
    連茉䌁画『劎務のツボ』がレポヌトになっお発売むンドネシアに関わるすべおの方の人事劎務に関する問題解決や疑問解消の糞口に。
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2026幎1月29日朚曜日 11:47