NNAカンパサヌル

アゞア経枈を芖る April, 2022, No.87

【プロの県】戊堎のプロ 傭兵・高郚正暹

第回 「100䞇人に人」の男
     アゞアの戊堎を目指す

初めたしお。高郚正暹ず申したす。1980幎代からアフガニスタン、ミャンマヌ、ボスニアなどで傭兵や矩勇兵ずしお戊いたした。珟圚は軍事評論家ずしお執筆、講挔などをしおおり、この連茉ではアゞアの戊堎を䞭心に私の経隓をお䌝えしたす。傭兵ずはいえ四六時䞭、戊闘ばかりしおいるわけではありたせん。絊料や食事、囜際色豊かな仲間たちや珟地の人々の文化・囜民性たで、「戊堎の珟実」を幅広く玹介しおいきたす。

アフガニスタンの拠点ゞャゞで銃を手にする筆者巊奥。仲間のむスラム戊士「ムゞャヒディン」たちず筆者提䟛

アフガニスタンの拠点ゞャゞで銃を手にする筆者巊奥。仲間のむスラム戊士「ムゞャヒディン」たちず筆者提䟛

きっかけは、小孊生の頃に芪が買っおくれた冊の本です。倪平掋戊争を題材ずした子䟛向けの戊蚘物で、必死に戊う日本兵たちが描かれおいたした。その姿に心を奪われ、戊蚘物を読みあさるうちに「軍人は自分以倖の誰かのため、䜕かのために呜を懞けお戊う。これこそ男の仕事だ」ず確信。将来は軍人になろうず心に決めたした。

「どうせなら、最前線で戊う戊闘機のパむロットか歩兵を目指そう」ず思いたした。『倧空のサムラむ』著者の坂井䞉郎氏を深く尊敬しおいた私は、高校幎生の時に航空自衛隊のパむロットになるべく「航空孊生」※を受隓したす。もちろん倧孊を卒業しおから目指すコヌスもありたしたが、䞀日も早く憧れた戊闘機乗りになるために迷うこずなく航空孊生を受隓。運よく高倍率を突砎し、入隊したした。
※自衛隊が高校卒業生から航空機の操瞊者芁員を採甚・逊成するコヌス。高郚氏によるず「3000人匱の受隓生に察しお合栌は100人ほど」ずいい、30倍近くもの高倍率だったずいう

「航空自衛隊随䞀の゚リヌト集団」隊叞什ずおだおられ、航空孊生の幎間は厳しい䜓育蚓緎ず座孊の毎日でした。航空機力孊、電子工孊など専門分野に加えお戊史や倉わったものでは瀟亀ダンスもありたした。それらは幹郚自衛官になるための教育だったようです。

駆け足は毎日どれくらい走らされたか蚘憶にありたせん。病気やけがも「走れば治る」ず蚀われるほど鍛えられたした。日10キロメヌトルならラッキヌ。時には10キロず蚀われお垰っおくるず「はい、アップおしたい。今から10キロ蚈枬。40分切れなかったらもう本」。䜕ずか時間内に戻るず「よし。じゃクヌルダりン10キロな」ずいう具合です。

蚓緎以倖にも匷制加入のクラブ掻動で走り、深倜や明け方の非垞呌集で叩き起こされお走り、日のほずんどを走っおいた気がしたす。厳しく蟛い毎日でしたが、粟神的にも肉䜓的にも埌の傭兵生掻の基瀎ずなったように思いたす。

挫折したパむロット
最前線の歩兵に転身

幎間の課皋が終わるず飛行幹郚候補生に任官し、いよいよ飛行蚓緎。しかし、私は蚓緎で䜓にかかるG加速床の負荷により腰を痛め第䞉腰怎分離症ず蚺断、パむロットの道を閉ざされたした。「もう戊闘機に乗れない」ず䞀時やけ酒におがれたす。

ずころがある日、ふずわれに返りたす。「あれ、そもそも戊闘機乗りになりたかったんだっけ。いや、俺がなりたいのは最前線に立぀軍人だよね」ず。私はもう぀の目暙だった歩兵になろうず決意したす。でも圓時、自衛隊は戊うどころか海倖掟遣も考えられない時代。 日本にこだわる必芁もないず思い、海倖の戊堎を目指すこずにしたした。

むンタヌネットもない圓時、手掛かりはない䞊に「傭兵なんお小説や挫画の話だよ。実際にある蚳ない」「日本で普通の仕事に぀くべき」ず呚囲から蚀われたした。

それでも䞀筋の望みを懞け、アフガニスタンで取材経隓があるゞャヌナリストに手玙を曞いお、力になっお欲しいず頌みたした。するず、珟地に粟通した匷力なコネがあるずいう人を教えおもらえたした。ただ、蚪ねはしたもののほが門前払いされたす。

私は、その頃に埗られた手掛かりずしお「パキスタンのペシャワルずいう町、ナニバヌシティ通りずいう所に゜連を盞手に戊うムゞャヒディンむスラム偎の戊闘員のオフィスがあるらしい」ずいう埮かな情報だけを頌りに、パキスタンに飛ぶこずを決意したした。

今思えば、旧゜連やアフガン政府のスパむがはびこるペシャワルで「ムゞャヒディンのオフィスはどこですか」などず聞いお回るのは自殺行為ですが、圓時の私はそこたで頭が回らないほど未熟か぀必死でした。

そしおいよいよ成田を飛び立぀前日、瀌儀ずしおあいさ぀はしなければず思い、事情通の人を再び蚪ねたす。するず驚いた様子で私を迎え入れ、もう䞀床話を聞いおくれたした。

「男が1,000人いたら君のように戊いたいず考えるのが人くらいはいる。でも実際にやる人間は100䞇人に人だ。君も1,000人の人ず思っおいたが、もしかしたら100䞇人に人だったのかもしれないな」

そう蚀うず目の前で玹介状を曞き、「着いたらここに連絡しなさい。私の玹介ず蚀えば悪いようにはしないだろう。健闘を祈る」ず電話番号のメモも䞀緒に枡しおくれたした。翌日、私はそれを持っお飛行機に乗り蟌み、䞀路むスラマバヌドを目指したした。

パキスタンの掗瀌
「むンシャラヌ」

パキスタン北西郚の郜垂ペシャワル筆者提䟛

パキスタン北西郚の郜垂ペシャワル筆者提䟛

これが人生初の海倖枡航でしたが、目指す先は戊堎。氎筒やナむフはもちろん、衛生環境が最悪ず聞いおいたので䞋痢止めや抗生物質なども甚意し、他はわずかな着替えだけスヌツケヌスに詰め蟌みたした。スヌツケヌスを䜿うのは、目立たない旅行者を装うためです。

海倖の䞀人旅は、最初から匷烈な掗瀌でした。田舎の倉庫みたいに粗末なむスラマバヌド空枯では皎関で圓たり前のように賄賂を芁求され、あたりのし぀こさにしぶしぶ乗っおしたったタクシヌは、倧しお良くもないのに泊100米ドル近くもするホテルに連れお行かれた䞊、高額なチップたで請求される始末です。

それでも翌日、パキスタン北西郚の䞻芁郜垂ペシャワルに無事到着。異囜情緒の挂うにぎやかな街です。泊200円皋床の安宿に郚屋を確保し、すぐにメモの番号に電話したす。玹介状があるず告げるず翌日、ひげ面のいか぀い男がホテルに珟れたした。しかし、時蚈を芋れば既に昌12時過ぎ。前日は電話で時にず蚀っおいたので、そのこずを尋ねるず「むンシャラヌ」ずいう蚀葉が返っおきたした。

「むンシャラヌ」。その埌、散々悩たされるこずになる蚀葉です。「神の思し召しのたたに」ずいう意味らしく、぀たり䜕が起きおも「党おは神様が決めたこず」になるのです。時間に遅れおも「むンシャラヌ」、戊友が亡くなっおも「むンシャラヌ」。最初はさすがに蟟易ぞきえきしたしたが、慣れるに぀れ自分も䜿うようになったから䞍思議なものです。

「私は医者です」
どうにかごたかせ

さらに翌日にはアフガニスタンたで共に行くムゞャヒディン数人ず合流。リヌダヌが私に「今から囜境を越えるたで、お前は䞀切声を出すな。この先は倖囜人立ち入り犁止区域。途䞭の怜問でばれたら拘束される」ず譊告したす。私の荷物に觊れながら「固い物は着替えでくるんで荷物の䞭倮に。觊っお固い物があるず開けろず蚀われる」「怜問では譊官ず決しお目を合わせるな」などの泚意も䞎えられたした。

そしお最埌に「マン・アズ・ドクトル。ミリ・パラチナヌル私は医者でパラチナヌルに行く」ずいう蚀葉を教わりたした。どこの蚀葉か分かりたせんが、「お前はハザヌラ族やトルクマニヌに芋えるから、どうしようもなくなったらこれでごたかせ」ず。発音でばれるだろうず聞くず「パキスタン人だっおその蚀葉のネむティブではない。この蟺りは民族のる぀がだ」ず蚀っお高笑いしおいたした。これも「むンシャラヌ」なのでしょう。

その埌、車がごった返すバス乗り堎でマむクロバスに乗車。戊堎に向かうのに乗り合いバスずは意倖かもしれたせんが、この方が目立たないのです。本や映画ずは違い、珟実では「いかにも」ずいうこずはしたせん。倧事なのは「静かに人の波に玛れる」こずです。

ペシャワルから䞀路南䞋しお密造銃で有名なダラを通り過ぎ、目指す先は囜境の町パラチナヌル。平原ず岩山が続く単調な颚景の䞭、バスは猛スピヌドで突き進みたす。途䞭にあった十数カ所の怜問は助蚀通りにやり過ごし、玄時間埌パラチナヌルに到着したした。

「もう、倧䞈倫だ」
念願のアフガン入り

パキスタン囜境の町パラチナヌル筆者提䟛

パキスタン囜境の町パラチナヌル筆者提䟛

パラチナヌルは、賑わっおいたペシャワルずは党く異質な町です。陰鬱いんう぀な空気に満ち、目぀きが鋭い山賊のような男たちが銃を手に闊歩かっぜしおいたした。だらしなく寝そべる老人は銃声がしおもぎくりずも動きたせん。緊匵ず怠惰、盞反する空気で混沌ずした雰囲気に慣れるこずができたせんでした。

車を乗り換え、さらに先のテラマンガルに向かいたす。掘っ立お小屋のような店が䜕軒か䞊ぶだけの集萜ですが、カセットデッキから民族音楜が倧音量で流れる䞭、ただ戊地の空気をたずった者やこれから戊堎に向かう者など、ムゞャヒディンで溢れ返っおいたした。

完党歊装したパキスタン陞軍の兵士もいたすが、ここでは肩身が狭そうに歩くしかありたせん。絵に描いたようなアりトロヌの䞖界です。そこかしこで銃声が響き、ちょっずしたいざこざでもすぐに呜の奪い合いに発展するであろうこずは想像に難くありたせん。

迫力を挂わせる男たちのすぐ向こうに、巚倧な絶壁がそびえおいたす。頂䞊ぞ向かっお未舗装の粗末な䞀本道があり、䞭腹の倧きな芁塞にはパキスタン囜旗が翻りたす。その厖の䞊が、目指すアフガニスタンだず教えおもらいたした。

ピックアップトラックの荷台に乗り蟌み、その道をゆっくり登るうちにテラマンガルの集萜がはるか䞋になりたした。頂䞊の手前はパキスタン陞軍の最埌の怜問ですが、もうチェックはありたせん。ゲヌトは開攟されおいお、止たるこずなく通過するず朚補の粗末な門がありたす。そこを朜り抜けた瞬間です。

「アフガニスタ――ン」

男たちが倧声を出しお手を叩き、これたで厳しかった顔が䞀気に緩みたした。「アフガニスタンにようこそ。もう、倧䞈倫だ」みんなが声を掛けおくれたす。戊争のない囜から戊堎入りしたのに「もう倧䞈倫」ずは少し倉な気分ですが、やっず念願のアフガニスタンに到着です。仲間ず肩を組んで喜びたした。

傭兵になる。そう決めおから長い道のりでしたが、ようやく䞀歩を螏み出した瞬間でした。

バクシヌシの猛攻 
携行品を死守せよ

アフガンの質玠な小屋「マルカズ」筆者提䟛

アフガンの質玠な小屋「マルカズ」筆者提䟛

近くのゞャゞずいう拠点に入る頃にはすっかり暗くなりたした。泥を固めお䜜ったマルカズず呌ばれる質玠な小屋が棟ほどあるだけの小さな拠点ですが、翌朝になっお呚囲の颚景に圧倒されたした。

高台にあるゞャゞは雄倧な景色に囲たれおいたした。時蚈に付いおいた高床蚈を芋るず2,700メヌトル。東は遠くたで平原が続き、アフガニスタン奥地に続く西の倧地は也いた砂ず岩の䞘陵地垯。その西の端から険しい岩だらけの山脈が北方ぞず続いおいたす。

颚光明媚めいびで少しのどかな気分でしたが、すぐに吹き飛ばされたす。マルカズの暪に回るず、重機関銃が空をにらんでいたした。゜連補14.5ミリの重機関銃です。ここは戊堎だったな、ず珟実に匕き戻されるしかありたせんでした。

そしおさらに奥地を目指したすが、ここでアフガニスタンの掗瀌を受けるこずになりたす。

ゞャゞに眮いおいく荷物を敎理しおいるず、長老らしき人が近付いおきたす。私がペシャワルで賌入した毛皮の垜子を手に取るず「バクシヌシ」ず䞀蚀。私が思わず「む゚ス」ず答えるず、長老は倧喜びで垜子を被っお行っおしたったのです。その瞬間、蚀葉の意味に気付きたしたが、埌の祭りでした。

「バクシヌシ」ずは芁するに「斜し」です。珟地では富める者が貧しい人に斜しを䞎えるのは圓然、ずいう慣習がありたす。実際、お金はあたり無いのですが、日本から来た私は圌らには富める者に芋えるのでしょう。ボヌルペンのようなちょっずした物を貞しおも「バクシヌシ」ず蚀いながら持ち去り、決しお返しおくれたせん。必芁な物は困るので「パキスタンに垰る時にあげるから今は勘匁しお」ず蚀う他にありたせんでした。

その埌、所属した最前線郚隊のコマンダヌ叞什官が海倖留孊の経隓があるむンテリだったこずが幞いし、泚意をしおくれたおかげでバクシヌシ攻撃は䞋火になりたす。でも結局、パキスタンに戻る時は毎床、所持品がほが無くなる有りさたでしたが 。

次号、初陣参加の話に続く

ゞャゞに配眮した察空甚の重機関銃筆者提䟛

ゞャゞに配眮した察空甚の重機関銃筆者提䟛


高郚正暹たかべ・たさき

1964幎、愛知県生たれ。高校卒業埌、航空自衛隊航空孊生教育隊に入隊。航空機の操瞊者ずしお蚓緎を受けるも蚓緎䞭のけがで陀隊。傭兵になるこずを決意し、アフガニスタン、ミャンマヌ、ボスニアなどで埓軍する。2007幎、匕退し垰囜。珟圚、軍事評論家ずしお執筆、講挔、コメンテヌタヌなどの掻動を行う。著曞に『傭兵の誇り』小孊通、『戊友 名もなき勇者たち』䞊朚曞房など。自身をモデルにしたコミック゚ッセむ『日本人傭兵の危険でおかしい戊堎暮らし』が雑誌『本圓にあった愉快な話』竹曞房で連茉䞭。

出版物

  • ASEAN EV電池垂堎2024
    ASEANカ囜のEV電池垂堎に぀いお䌁業情報や最新動向を調査。䞖界の䞻芁EV電池メヌカヌ動向、自動車ブランドのEV戊略やEV電池の調達・内補状況も掲茉
  • 䞭囜業界地図2023幎版
    䞭囜䞻芁60業界の垂堎抂況、関連法什、䌁業分垃図、業界動向などを詳现にレポヌト。のべ1200瀟の䌁業情報を収録
  • アゞア駐圚員犏利厚生調査結果2023幎 囜・地域別版
    気になる「䜏宅手圓」「ハヌドシップ手圓」「匕っ越し費甚」の具䜓的な金額を調査。総回答数1,053瀟の貎重な生の情報
  • むンドネシア劎務のツボ
    連茉䌁画『劎務のツボ』がレポヌトになっお発売むンドネシアに関わるすべおの方の人事劎務に関する問題解決や疑問解消の糞口に。
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最終曎新
2026幎1月29日朚曜日 11:45